「まだ東京で消耗してるの?」
おごちゃん
当地に移住して、そろそろ2年になります。
前のエントリに書いたように、ここ2週間ほど東京にいました。
いつも3ヶ月に1度くらいの頻度で東京にいるのですが、今回はちょっとした事情(後述)があって、1週間伸びでしまいました。
そんなわけで久しぶりに田舎(大田)に戻って来ました。
そこで思ったのが表題です。 どこかで聞いたようなフレーズですけど。
東京いいとこ
東京はいいところです。
昔住んでいた渋谷区(道玄坂の上や原宿)は楽しかったですし、こちらに戻る直前の秋葉原(正確には台東2丁目ですが)は良いところでした。 特に秋葉原付近は私の人生で一番長く住んでいた場所なので、いろいろな思い入れがあります。
もちろん今も大好きです。 仮にまた東京に住むことになれば、迷わずその辺にします。 今も東京に行った時のためにある「東京滞在所」はその辺にあります。
近所のワイン醸造所
また、私の教会籍は今も東京の教会にあります。 日曜日には40分あまりの通訳をリモートでやっています。
定期的に東京に出るのは、通院が主な目的です。 田舎は医療アクセスが悪いので、東京の病院に通院しています。
当地(大田市)は田舎で人口密度が低いとは言え、交通の便が極端に悪いとか中山間地というような場所ではありません(一応分類としてはそうなってますが、実態はそうではありません)。 そこそこの規模の医療機関はありますし、隣りの出雲市に行けば大学病院もあります。 医療機関が「ない」わけではないのですが、気楽にアクセスできるかと言えばそうでもないので、カルテの蓄積もある東京の病院に通っているわけです。
そんなわけで、東京は大好きですし、今も「根」の一部は東京にあります。
東京しんどい
とは言え、2週間も滞在していると、結構疲れて来ます。 2週間ともなると、「住んでいる」感覚にだんだん近付いて来るのですが、こうなると「東京のしんどさ」も思い出して来ます。
「東京のしんどさ」の何割かは「人の多さ」に起因します。
私は田舎から出て来た人にありがちの「人混み恐怖症」的なものは持っていません。 また、「誰が何を考えているのかわからない」的なものに恐怖は感じません。 ただひたすらに「邪魔」というだけです。
ちょっと良いもの(美味しいとか話題になったお店とか)は大混雑して行列になります。 急いでいると前にいる人を避けたりしなければなりません。 通路の分岐点にぼーっと立っている人を見ると、「この田舎者が!」と毒づきたくなります。 自分がだんだんせっかちで狭量な人間じゃないかと思ってしまい、これもまた嫌になります。
残りの何割かは「何についても金が必要」ということに起因します。
何をするにもお金がかかります。 外出する時にサイフやカードがないと不便な思いをすることが少なくありません。 ちょっと休憩するにも、カフェ的なものでお金が必要ですし、公園ならタダだと思っても、「おじさん」がぼーっとベンチに座っていれば、下手すれば不審者で通報されるかも知れません。
そんなわけで、東京にいるのは楽しいのですが、随分とエネルギーが必要で、エントロピーの高い活動であるということを痛感してしまいます。
ということで、そろそろ東京滞在に飽きたところでこちらに帰って来ました。
当地(大田)いいとこ
こちらには東京にあった「しんどさ」は皆無です。
また気候が素晴しく良くて、今の時期でも真夏でも、少なくとも午前中はエアコンなしで窓を開放するだけで十分涼しく過せます。 今の時期なら夕方でも平気です。 外出すれば夏の日射しがあるのは似たようなものですが、風が違います。 身体へのダメージは随分と少ないものです。
ちょっとダルいな、昼寝でもしようかと思えば、窓開放して布団に転がるだけです。
ザ・お昼寝空間
窓からはリゾートの風が吹いて来ます。
ほのかに牛のにおいを感じる
東京にいると人に会えるから良いと言われますが、元々我々はそれ程社交的ではないので、滅多に「人に会う」ことを目的として外出することはありません。 ビジネス的にもこちらに移る時にB2Bをほぼ捨てることにしたので(これは色々理由があります)、Bの顧客に会う必要はほぼありません。
秋葉にいると部品調達が良い的なことを言われる人もいるのですが、現実問題として我々が試作や量産で使うような部品は秋葉では買えません。 だいたいMouserとかRSといったようなところで調達します。 だいたい海外発送になっていることが多いので、東京と当地との違いは、せいぜい1日くらいですから誤差です。 MLCCなんて近所にMurataの工場があったりするんですが、「産直」はないですね。
ご存知のように弊社では「しまパン」を売っているわけですが、販売はAmazonですし、調達は通販(最近は国内も多い)です。
イベントや勉強会には元々それほど行ってません。
という感じで、「東京のメリット」とされるもの、ほとんどが元々享受してなかったり切り捨てたりしてしまっているので、不便を感じることがありません。
その代わり、DIYの類はやりたい放題です。 「農業」そのものをするつもりは今のところ皆無ですが、自分達が食べるちょっとしたもの(ハラペーニョとか)とか作ってみたりしています。 ハードウェアの量産ですか? 何なら工場建てるところからやります?
「エントロピー」は断然当地が低いですね。
ちょっと前はスーパーの値段を見て「やっぱり田舎は高いなぁ」と思っていたのですが、これは明確な間違いでした。 何しろ我々の「スーパー」の基準は「ハナマサ」や「業務スーパー」であって、高くても「サミット」なので、東京でも安い方を基準としていました。 「サミット」と比較すれば、田舎のスーパーが明確に高いということはなく、野菜類は圧倒的にこちらが安いのです。
不動産の値段なんて、もう草しか生えません。
そんなことを考えていると、田舎に移住して来たことは少なくとも我々にとってはメリットばかりで、特にデメリットはなかったなぁと感じます。
結局のところ
- あまりリアル顧客と会わず
- 十分な広さ(占有面積や離隔)が欲しく
- 近所で材料調達することが重要でない
類の仕事をする分には、東京を離れてしまって田舎住まいをするのはメリットが多いことだなと思います。
田舎のデメリット?
しばしば、「田舎なんて」という文脈で語られる、人間関係のしんどさは、土地柄のせいなのか我々の仕事や生活のせいなのか知りませんが、「皆無」です。
今住んでいる場所は永年いわゆる「余所者」が生活している団地です。 土地の人達はここの人達とはあまり交流を持とうという姿勢はありません。 自治会(町内会)は団地で閉じていますので、外部との交流は自分から積極的に持たない限りは必要ではありません。 逆に過疎化がものすごい勢いで進んでいる土地ですから、こちらが関わろうとすれば積極的に受け入れてくれます。 つまり、「人間関係のチェリーピック」ができてしまいます。
面倒な年寄りはほぼ絶滅しました。 土地の現役世代という意味では、私くらいが一番の年寄りです。 地元民がgdgd言っても、「はぁ?」とか言えば「ごめんなさい」になります。 私の親の世代が辛うじてまだ生きてはいますが、「棺桶に片足つっこんでる××が」と思えばそんなに腹も立ちませんし、実害もありません。 また、現実問題として、そういった人達が表に出て来ることは少ないです。
慣れない人にとってうっとおしいと感じるかも知れないものとして、当地では「声かけ運動」的なものがあるみたいで、人に会うと挨拶をするのが普通みたいです。 道を歩いていて人に出会うと、皆さん「こんにちわ」と声をかけてくれます。 東京でも同じマンションの人達でそういった習慣のあるところがありますが、当地ではどこでもです。
ここは目の前に中学校があるのでよく中学生とすれ違いますが、男の子も女の子もあいさつしてくれます。 事務所付近だと高校生がいますが、高校生もあいさつしてくれます。 つまり、「おっさん」相手にJCJKが向こうからあいさつしてくれる。 ちょっとびっくりです。 嫌な人は嫌かも知れませんが。
人間関係とは面白いもので、そうやって「あいさつ」していると何となく話しかけてくれる人もいます。 これもまぁ、個人的には悪くないと思います。 嫌な人は嫌かも知れませんが。
一番のデメリット
ただ困ることがないわけではなくて、それはいくつもあるのですが、一番大きいことは既に書いた「医療アクセスの悪さ」です。
田舎とは言えそこそこ開けた土地ですから、「皆無」ということはありません。 必要であれば大学病院も割と近くにあります。 田舎大学の病院とは言え、日本で最初に生体肝移植をした程度には先進医療をやっています。 「無医村」みたいなところと比べれば、アクセスは悪くありません。
それでもなお、私が医療アクセスが悪いと言うのは、「なんとなく嫌な感じがするから念のために受診しておこう」的な受診ができる医療機関がないということです。
もちろんいわゆる「かかりつけ医」が持てる程度には開業医もあるのですが、もうちょっと難しい、私が今回受けたような「なんとなく嫌な感じ」からつながる、「もしかして膵臓あたりに癌があるかも?」という類の診断を受けることが、あまり簡単ではないということです(結局何ともありませんでしたけど)。
実際のところ、このレベルの診断を受けるのは東京でもそれほど容易ではありませんが、このレベルで診断を受けることができるかどうかは、結構大事です。 実際、私はこれで二度命拾いしてますし、当地に残っていた友人知人がほぼ絶滅してしまった(生存者が少ない)のは、これができなかったせいでもあると思います。
田舎は都会ほどは便利じゃないよという文脈で諦めることは多々あるのですが、その中で唯一と言って良いほど諦められないのは、このことですね。 それ以外は、「違う土地だから違うよね」という程度に流せます。